adrress | 東山区三条神宮道(粟田口)中之町194−6 | ||||
call | 075(531)3115 | ||||
open/day | |||||
open/night | 17:00〜23:00 | ||||
off | 火曜日 | ||||
capacity | カウンター 座敷 | ||||
memo | 夜のお任せ10000円から | ||||
impression |
2005年3月12日 岡崎での帰りの晩ご飯はおきまりの「寸居」。今日は「大原」が休業だそうで、スタッフも余裕があるようで、山本君が粟田にやってきてくれていた。先日「先斗町」にいなかったのは、新婚旅行だったそうで、明日は披露宴でお化け(仮装大会)をするそうだ。おめでとさん。 温かいお茶をまず頂いて、胃が暖まって、食事を始めて貰う。献立は
春らしい味わいと香りの先付け。坪庭に降る雪を見ながらのお酒は、気分がよろしい。 今年はまだハマグリの料理を頂いていなかったと気づく。日本料理の出汁の基本は、昆布と鰹だが、それ以外では、「まる」と「ハマグリ」が格別の好み。海老の真蒸は玉子の香りと合わさってこれも良い出来。 珍しいノドグロをお造り。 黄色い三宝柑に緑の餡が美しい。赤い丁字がポツポツとまた可愛い。思ったほどウスイの香りがないのが残念だ。鴨のガンは相変わらず旨いし、しゃきっとした賽の目のタケノコ、ゆり根と食感も楽しい蒸し物だった。 油滴天目の器に焼き物盛りだくさん。骨までポリポリ食べちゃえるウズラが好き。タケノコは短冊に切って木の芽餡を載せて、タケノコの皮に巻いて焼く。中の短冊タケノコは蒸し焼き状態。 サーモンの巻物はまぁよくある。しかしそこに白子を掛けてしまうとは感心してしまう。ふぐの白子から鯛の白子へ季節が変わっているというのが感じられる一品。スモークの塩加減と白子の旨味が微妙だ。ただ醤油に浸されているのが不要に思う。淡い味わいが醤油の香りで一気に飛んでしまった。 氷魚も一日たったら稚鮎に成長したって事だ。山菜と合わせて天ぷら。塩で頂くが、むちゃはあまり好まない。 今年は「ハマグリを食べていない」と言ったのを、女将が山本君へ伝えて作ってくれた(?)としておきましょう。 最後におめでとうを言おうと思ったけど、先斗町が忙しいらしく、すでに店を出ていた。 壁際に妙な木が掛けてある。女将は11面観音の頭のウエの小さい頭だというのだが、カウンターで話を食事をしていたので、要領を得なかった。目が悪い。近くに行くと、確かに頭だ。頭を据え付ける台座が流木のようで、それを仏像の頭と言い張っていると勘違いしていた。本当の頭はどこへ行ったか判らないそうだ。 2004年10月30日 やまない雨の中をとぼとぼ人気のない住宅地の中、なじみの「粟田口」に向かう。 短冊を装丁した扁額は「名月や大千世界に際は無し(久松真一)」でしたかな。その前のカウンターに座る。女将とトシ君がお相手。
塗りの高坏で出されたのは胡麻豆腐。緑色の枝豆の餡、イクラ、ワサビに栗チップ。イクラの塩加減が胡麻豆腐に混じるのですが、ちょっと好きじゃない。(とはいえちゃんと食べる)。漬けとはいえ生の魚卵と精進な豆腐とあわせるはどうも食べる前からどうも好きじゃない。まぁ、ウニだったりしたら、喜んで食べちゃうわけで、好みはいい加減なもの。 冷やしてもらっていた「松の司・AZOLLA」にする。 椀替わりの土瓶蒸しは、鱧に三つ葉。シンプル。丹波産らしい? お造りは、トロのマグロにひらめ。マグロには大根おろしが載せられている。むちゃには「ブリの刺身は大根おろし」でが定番なので、違和感はないけど、ちょっと水っぽくなる。ヒラメはワサビ醤油。 いつもの蒸しの「笹寿司」ではなく、鯖の握り寿司。軽く〆た鯖の皮を炙って寿司飯に載せたん。ショウガが天盛り。 この店で「大明嘉靖年製」という器を見ると本物(?)と思ってしまうのだが?。八木一夫さんも「うづき」がお茶屋から料理屋に変わった当時は鈴木治さんとよく来ては、こむつかしい「芸術論」を語ったいたとか女将から聞く。作家さんのぐい飲みがカウンターの後ろに並んでいるだけに、余計に器が気になる。 さてそんな器の炊き合わせは、京にんじん、小芋、南京、隠元、えび。あんかけだ。 天目の大皿で八寸。ウズラの焼き物に大根の焚いたん、ぐじの焼きモン、衣かつぎ、煮栗。ウズラの足もそのままに醤油のつけだれで焼いたもの。たれが大根にかかる。 薄く切った松茸に鷹峯のほうれん草の和え物。 天ぷらで、松茸、雲子、枝豆の寄せたん。飾りは「みのり揚げ」という稲穂の揚げ物。お米がはじけて、花が咲いたようなポップライス。ちゃんと稲穂に残るように揚げるのが難しいそうで、半分くらい落ちている。美味しいとか旨いとかいうものじゃないけど、楽しい食べ物。旨いのは「雲子」。ねっとりと籠もった味。塩。 最後のご飯は、へしこ茶漬け。おかわり。 女将の新潟の親戚さんもご無事だったそうでなにより。
2004年4月10日 夕ご飯は、「粟田」の「寸居」に席を取っていた。女将と俊成君がお迎えだ。で、今日のメニューは
お酒は一澤の鞄の中にあってお荷物だった「田酒・純米大吟醸」だ。 緑の濃いお豆腐。ワサビとか茗荷とか花穂紫蘇とか薬味も雲丹と一緒に豆腐の上。加減酢のゼリーも散らされて、いい彩りだ。 波にウサギの柄の深緑の色漆の椀を取ると、いっそう鮮やかさをました椀。季節らしく、桜の花まで使っている。ちょっと塩抜きが足りないかな?。 薄造りにするのが生タコの包丁の入れ方と思っていたけど、タコブツよろしくぶつ切りにいて、細かく包丁を入れる。なるほど、なるほどという仕事。 お馴染み卯菴寿司。あしらいが軽く炙ったノビル。 焼き物の入った八寸。ご主人の作陶による備前の器ででてくる。筍の皮を器にアワビと海老が入っているが、この木の芽味噌と筍の田楽が重なっているのは、工夫が欲しいところだ。 揚げ物も春めいた構成。やはり山菜は天ぷらになっちゃうけど、季節は白魚から稚鮎へと移っている。小さいながらも苦みはしっかり。 お茶漬けか雑炊が選べるので、雑炊にしてもらった。フワフワのくみ上げ湯葉たっぷりに梅。錦の「麩房」さんの湯葉だそうだ。 いつもながらのグレープフルーツだけど、ちょっと一工夫。 昨晩、女将は先斗町のお店にいたそうだけど、差し込みのお客でこの日記の読者から「よろしく」との伝言を受ける。
最近俊成君が「利き酒師」を目指しているらしく、「晃庵」のマスターに師事しているらしい。で「田酒」の評価を聞くと「綺麗な酒ですね」だけとは、不合格ですわ。 2003年11月8日 夕ご飯は、おなじみの「粟田」のお店。 若女将は東京だそうで、お出迎えは先斗町にいるはずの女将。トシナリ君もいる。名古屋からの先客がいて「うつくしいものを美しいといえるあなたの心がうつくしい」の「みつを」の額がかかるカウンターの端。この親子3人連れ、このためだけに名古屋から新幹線で来たそうだ。 今日の献立は
確か昨日がかにの解禁だったはず。早速出てきました。 銀杏とチップスは暖かいのをいただきたい。パリパリのはずのチップスが湿気っていますわ。 てっさのように薄造りを皿に敷き詰めたお造り。中央にぷりんぷりんの肝。醤油に溶かして「肝醤油」にする。とっても旨いのですが、肝醤油にするなら、すり鉢であたっておいて欲しいですわ。箸で肝をつぶすのは、見栄えがよくありません。それでも凄いのは、包丁の冴えでした。 カブラを菊の形に切り出す。上下二つに割って、中にえびを隠す。カブラを主役に、鰹を押さえた出汁が淡い。その分昆布はしっかり味わえる。菊の花弁が二つ、色合いも見事でした。 すっかり定番の卯庵寿司は、穴子の笹巻きずしを蒸したん。中の寿司飯に柴漬けたっぷりで酸味が穴子の脂と溶け合って、むっちり。先斗町でも大原でも出てくるようで、名物になりそうですわ。 炊き合わせでは「えび芋」旨し。味がしっかりしみこんでおります。一方アワビは、柔らかさがなくて、いまひとつ。いつ食べても、ここの鴨のお団子がすばらしい 。 ぐじの焼き物は一工夫。「ぐじの内臓の塩辛」という珍味が存在するそうで、それを焼いた身に添えてあるんですが、確かに塩辛という塩梅。珍しいけど、普通がいいや。教えてもらったのは飛び切りの「若狭物」を扱う店が三条近くにあるそうだ。 生湯葉はそのままの愛想なし。 小鍋立ての雲子は、いったん天ぷらにしてから鍋に入れてあって、これも一工夫してある。鍋の出汁が美味しいので呑んでしまうけど、ポン酢で頂くのは台無しのような気がする。 最後のご飯は、前にもいただいた記憶のあるお茶漬け。お代わりもできるようだが、十分でした。三つ葉とワサビだけのシンプルな茶漬け。 デザートはちょっと改善の後があって嬉しい。今年は、まだ、洋なしを(ケーキ以外で)食べていなかったわ。 今日包丁を握っていたのは、まだ若い堀口君だそうだ。最後はちゃんとお見送りに出てきたけど、京都和久伝から移ってきたそうだ。今一部のライターが注目の緒方君の店やね。
2003年6月7日 「美濃吉」のご立派な本店の横を抜け、夕御飯は、お決まりの「粟田口」。ちょうど、「打ち水」にでてきた一重の若女将に会う。 今日の掛け軸は「好古」の文字。さて、予算を聞かれる事もなく始まったお料理は
ざっくりと切られた緑のお豆腐は、まだ香りの弱い枝豆豆腐。載ってる枝豆もまだ小さい。とにかく今年初めて食べた枝豆である。ウニは不思議と京都より大阪の方が旨いようだ。 脂の乗ったヨコワを頂いた後は、鱧と鱧真蒸の椀。刻んだ鱧が真蒸に仕込まれてます。すり身も鱧でしょうか? 二切れだけ出てきた鱧寿司。嬉しい。むちゃは、「おとし」や「しゃぶしゃぶ」や「焼いたん」よりなによりこのお寿司が大好き。粟田の料理は、大原の吉村君が担当しているらしいが、山本君のお寿司の方が少し好みだ。 先月頂いた穴子の笹で巻いたお寿司は「卯菴寿司」とTVでも紹介していたが、大原名物の柴漬けを混ぜ込んだすし飯。「柴漬け」はいろんな店のを使うようだが若女将のお気に入りは決まっているようで、それは小さいお店のモノらしいが、名前も忘れちゃうぐらい小さいらしい。 TVの時の若女将は絶不調だったそうだが、今は生涯で最高に元気で健康だそうだ。京都に面白いクリニックがあるとか、興味深い話を聞く。 焼き物は牛の「いちぼ」のレア。微妙な和風のたれに、長芋のおろしで、立派な日本料理に仕上がってます。 炊き合わせには、うすく葛仕立てになっているのでしょう。 京都では「竹」に流し込んだ水羊羹が売っているが、その風情で出てくる竹はガラスの器に氷を敷き詰めた上に乗って出てくる。豆乳の中には、ジュンサイと梅肉が忍ばせてあったが、飲んでいていきなり梅肉が出てきたりするのは、工夫の余地があるでしょう。一口で飲んでしまえば良かったのかな。 大きい真鍮の器に出てきたのは、湯葉を使った鍋。湯葉は「溶き卵の中華スープ」のように鍋の中に細々とたっぷり。焼いた甘鯛の身とウニにヨモギ麩が泳いでいる。意外にも「中華料理」もお得意であることが分かった若女将だが、麻婆ちゃんに使っても、どう食べても美味しいのが「千代豆腐」という宮川町近くでうっている豆腐だそうだ。ついでにその近くで作っている味噌も美味しいらしい。今度探してみよう。 とっても酔っぱらっていて、三条まで酔い覚ましに歩くが、電車の中ではしっかり寝ることになった。 2003年5月4日 三条通りを歩いて、一筋南へ入り込めば、いつもの「寸居」。これまたいつものカウンターへ。折敷はなつらしく、すのこ。今日はご主人がカウンターでお相手です。床の間には禅語の「明歴々」の言葉。カウンター奥には井上靖揮毫による「養之如春(これをやしなうははるのごとし)」がかけられている。大原のお店の号「如春」の由来だそうだ。
粟田のお店が復活して直後以来1年以上がたっての訪問。以前とは器がかなり変わって、器の話も盛り上がるところ。先付けの「萩」から、「伊賀」、「永楽」と楽しませてもえらえます。 酒の肴がつづいて、お酒がすすむところ、自重できない珍味が並ぶ。 明石の天然の鯛、旬の桜鯛、刺身だけでなく白子、真子、アラまででてくる。とりわけ白子の真蒸が旨味たっぷり。最後のでてくるアラは、むちゃには甘みが強すぎましたが、魚好きにはたまらない部分。大原では「茶懐石」故、禅宗の倣いに従って、骨のあるものは出さないとか、もったいないですな。まぁ殺生を禁じる仏教で骨のあるものがでること自体、おかしいと言えばおかしい。 焼いたぐじには、ちょっと工夫した(という口振りの)オリーブオイルがかけられ、イタリアンな雰囲気も感じられます。名残のシーズンで脂分を補う効果もあるんでしょうか?女将とイタリアに行った話を聞くけど、イタリアではおいしい料理に出会えなかったそうだ。 先斗町でいただく「鴨の丸」ですが、卯庵では、滋賀の方でフランス産の鴨を養殖している所から仕入れているらしい。今日もちょこっとでてくるけど、ジュワと旨い。ゆり根だけなら、なんとない一品ですが、こういう仕事が食べててもうれしいところ。 最後は、湯葉・タケノコの雑炊とどちらがいいかと聞かれて、お任せしたのが「へしこ」。「鯖のぬかずけ」ですが、山葵せいもあってか、塩気が強いぐらいで、癖はあまり感じられない。ズルズルと食事が終わる。 先斗町に居た息子君がタイワで調理師の勉強中だそうだ。2代目になる気になったようやね。 2002年2月23日 まだ調子が戻りきらないのが、ごはんを食べに行く。四条から八坂神社・知恩院脇を抜けようとして、迷子になる。暗闇の円山公園を散歩する羽目になった。なんとかたどり着いたのは「寸居」。変わらない佇まい。お懐かしい半泥子の雛人形の掛け軸、花入れには椿と梅がお迎え、今日は麻衣子ちゃんもお出迎え。久しぶりのご挨拶を交わして、「富士千歳のしぼりたて、にごり酒」を頼みます。「にごり」は体に合わないけど、ついつい頼んでしまいます。とろとろで口当たりは甘味が勝ったお酒ですが、思ったほど甘味が残らなく、くどくなく、良くできたお酒です。いつもの「大安吉日」の折敷ではなく、朱塗りに松の絵。黒塗りのカウンターには朱が映えます。さて今日のお任せの内容は
お椀には、山本君の拘りのグジ。その性か、出汁が極めて淡い。ぐじに対する思い入れのあるお味として許容しておきます。黒塗りの椀に金で模様が入って、龍がそれとなく描かれてますが、キレイ。 お造りの器は四方鉢で、外側にはこれも龍が描かれている。大明嘉靖年製と裏書きされている、本物だとしたら、16世紀、日本では室町だな。赤絵で有名な万暦の一つ前の年号だ。先斗町より良いのを使っているようです。 赤に金で模様が描かれた磁器はクタニだろうか?炊き合わせの旨煮の鮎並の出汁は旨味たっぷり。それも含んだ湯葉も旨い。花菜に木の芽もあるめいた趣向で気に入る。 昨年なら、カウンターの前で焼いてくれる諸子も、今日は厨房で焼かれて出てくる。カウンターの客の目の前で焼く店が増えている中で、復活して貰いたいものです。これも漆で、平皿ですが金彩が美しい。 酢の物には雲子ポン酢。てんぷらで供するお客もいましたが、この雲子なら、どう料理しても美味しいでしょう。 籠に盛られてきたのは、揚げ物。アワビを揚げたのを食べたのは始めて。先月も食べた、湯葉雑炊は出汁がシンプルになった。やっぱり出たシャーベット。持ってきたときにナナちゃんが笑っていたのが、意味深だ。 今宵は、大原の夜の営業で、厨房には山本君、麻衣子ちゃんとナナちゃん、それに今日始めて粟田口で接客するというイナミちゃん。緊張して言葉も堅い。先斗町が案外片づくのが早かったというので最後は憲子さんもやってきて、懐かしい顔ぶれの勢揃いだった。大原が夜の営業をしないときは、主人の義郎さんと大原のカオルちゃんが来るという話だった。でも今日のような日は、先斗町の厨房は若い3人で賄っているらしく、心配してはります。 昨日の先斗町は、粟田口再開に合わせて、2階の座敷は落語会を催していてと言う話。どうも麻衣子ちゃんが、弁当とお酒を持ちながら落語を聞きたいという思いつきらしく、素人の落語家さんを呼んで、取りあえず知り合いを集めて盛り上がっていたらしい。今後も続けたいとか。詰め込んで30人くらい入れるらしい。 2002年2月22日 再開です 2001年3月24日 夕食はお決まりのコース、「粟田口・卯菴」です。この季節の掛け軸は日本画家「戸田勝久」氏の画による「酔客見立ての義郎氏(ご主人)」に蕪村と又平の短歌が賛としてとして書かれているもの。一年ぶりの再会。本日の献立は
さて、「粟田口・卯菴」は3月末をもって、移店の為、閉店。寂しいネェ。岡崎に寄れば、ここと決めていただけに、これからの店選びが苦労します。ナナちゃん卒業で、卯菴に就職、おめでとう。 2001年2月2日 もっといい感じと思えるのは「粟田口・卯菴」の玄関です。玄関を入ると、餅花と羽子板のお出迎え。坪庭横のカウンターの前は、寛永の三筆・烏丸光広の手紙を装幀した掛け軸。講釈を受けようとするが、女将も詳しくは分からないようだ。内容を聞きたがるむちゃのような客がいるので、読み下しのレポートがある。読めれば格好いいですなぁ。
寺井家のお引っ越しの話から、坪庭の灯篭の話になった。この家は、住居だったので、この灯篭は骨董屋さんからやってきたそうだが、5分割されて屋根を乗り越えてクレーンで入れたそうだ。造園士の方の話では、「この灯篭は火に当たってない」そうだ。「火」って何?そうだ「応仁の乱」だそうだ。つまりそれ以前の灯篭だと言うことだよ。座敷は江戸で。庭は室町だ。1200年は重い。 2000年12月2日
暗くなって、夕御飯はいつもの「粟田口・卯菴」です。暗い住宅地の中に「寸居・卯菴」の暖簾が掛かる、灯り一つのぼんやりと暗い玄関なんですが、実は上には看板が光っていて、これは趣がありません。
京都一の「ふぐや」と言うお墨付きの、「ひばなや」を聞き出したがちょっと不便。「年が明ける前にもう一度来て」といわれたが・・・。 2000年9月1日 さて、夕御飯は「粟田口卯菴」だ。1番乗りのようだが、なぜかカウンターには料理が出ていた。ばたばたしていたのは「Saita」の取材が長引いていたそうだ。城戸真亜子がレポーターとして秋の料理を食べているということだが、本人は始めてきたそうだ。どんな内容なのか楽しみである。岡崎周辺を歩いた後の食事として紹介されるようだ。9月という事で「簀巻きの折敷」から「塗りの折敷」に本日から衣替え、鉄線の絵額のかかる正面のカウンターは坪庭の横。一番に入店の特等席。出てきた料理は、取材に対応して秋の素材がちょこちょこ出てきます。
2000年4月8日 神宮道を下って、粟田神社の参道を経て、寸居の暖簾の掛かる「粟田口・卯菴」で春の特別点心を頂きます。既に東京からのご夫婦が、カウンターにおられたので、掛け軸の前の席は座れず。本日の掛け軸は日本画家「戸田勝久」氏の画による「酔客見立ての義郎氏(ご主人)」に蕪村と又平の短歌(憶えきれなかった)が賛としてとして書かれている。料理は
2000年3月4日 夕御飯は粟田神社近くの住宅街に佇む「粟田口・卯菴」の暖簾をくぐった。だから、まぁ近くの神宮道で憩っていたのだあるが。川喜多半泥子が娘のために書いたと言われる内裏雛飾りの絵の掛け軸のかかる正面で頂いた献立は
1999年11月20日(土) 先月案内を頂いた粟田口卯菴で、お昼を頂くことにした。流石に行楽・観光シーズンで予約でいっぱいのご様子。秋石画伯の掛け軸の前で頂いた料理は
1999年6月24日(木)
夕食は「粟田口・卯菴」の予約。1番客なので、坪庭近くのカウンターに座る。
1999年4月3日(土) お昼は「粟田口・卯菴」で点心を頂く。盛り籠に盛られた春の景色は、美味しそうなことこの上なし。「フジ千歳・しぼりたて」を冷酒で2合。最後は薄茶で締める。「亀屋伊織」の菓子に「柳桜園」の抹茶。女将には桜の穴場として、南禅寺野村別邸周辺を奨めてもらう。若女将には、甘味どころの「祇園小森」を挙げてもらった。 1999年2月17日(水) 夕御飯は「粟田口・卯菴」へ。女将がおられず、若女将の寺井麻衣子嬢とカウンター越しにお話する。面白い内輪の話を聞く。「にいさん」と京都弁で話しかけてくるので、いい気分。(客にはすべてそうなんだけど)。献立は極めて怪しいし、順番も不確かであるが
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map | 至 平安神宮 ││ ││ ───┘└────────────── 地下鉄 東山駅 三条通り ───┐┌───────┐┌───── ││ 鳥居 ││神 ││ ││宮 ││ ││道 ││ ││ 粟田 ││ 粟田口・卯菴 ││ 小学校││ ▼ ───┘└───────┘└──────── ───┐┌───────────────── ││ ≡ ││ ≡ ││ 粟田神社 ││ ││ ││ ││ 至 青蓮院 |
三条通り神宮道の観光客で賑わう交差点を南へ下がった1筋目を蹴上の方に向かいますと、粟田小学校を左手に粟田神社の鳥居を見つけることができます。更に閑静な住宅地の中のすすみますと、ご自宅を改造したお店「粟田口・卯菴」があるんでございます。先斗町で「うづき」を営む寺井さんが、大原の「卯庵」を開業されまして、その支店として「粟田口・卯菴」を97年秋オープンしたお店でございます。綺麗に打ち水された玄関から暖簾をくぐり、玄関につきます。 | |
1坪ほどの内庭の見えるカウンターは総漆のテーブルで10席ほど、1階に座敷で数名、2階では2室、開放して20人あまりのキャパ。丸椅子に座って女将さんが厨房から運ばれてくる料理を提供してもらえるし、お酒など用意してくれます。お酒は数は多くないものの、器は選べるし、雰囲気はようございます。私はカウンターの方が好みですな。厨房の様子は見えませんが、もともと普通の家を改造してますんでしょうがおません。舞妓さんや芸妓さんも呼ぶことができます。 | |
カウンターは、一品から注文が可能ですが、その中からお任せが組まれているので、そちらの方が楽。お薦め料理は8000円から。器は、ご主人が自ら焼くモノが主で、楽しめるし、掛け軸などの丁度も素晴らしい。お昼は3人以上集まれば快く受けて下さるようですが、基本的に夜の営業のみ。ただし、春と秋の1ヶ月間はお昼の特別点心の期間があり、その時は1名からでもOKです。 |